高卒の私が28歳から未経験でWEBデザイナーになった体験談

私について

未経験から、職業訓練を経て、WEBデザイナーになった私の事を書いています。

最終学歴は高卒です。その高校も2年生の時に1年留年しましたが、こんな私でも、WEBデザイナーになれました。

響きがいいですよね。WEBデザイナー(笑)

簡単に自己紹介。

プロフィール
沖縄県石垣島出身
1985年11月8日生まれ
既婚、3歳と1歳児の父でもある。

経歴
■上京物語
八重山商工高校卒業後、東京の大手パチンコ屋さんに就職。
(神田うのさんの旦那さんの会社)
先輩社員の暴力(肩パンw)と、過度の深夜業務に耐えられなくなり、10ヶ月で退社。

その後、別のパチンコ屋さんのアルバイトを2年、バイトリーダーを経て社員登用の話を頂くが、石垣島に帰りたい願望が抑えきれず、姉の結婚式出席のための帰郷に乗じて東京(住んでたのは神奈川県)をドロップアウト。



■石垣島に出戻り
石垣に帰ってきた当初は、パチンコ屋に通い、1ヶ月ほど遊んでいたが、知人の紹介で、石垣島鍾乳洞内のレストランにて配膳のアルバイトに従事。
2年ほど経つと、鍾乳洞のブログの更新や鍾乳洞内の設備(電気系統)、草刈りなども担当するようになる。が、
母親(看護師)の勧めで、医療事務の講座を受講。

医療事務の講座を行っている会社に、某県立病院で働かないかとのオファーを受け、3年ほどお世話になった石垣島鍾乳洞を後にし、医療事務として県立病院のカルテ室に配属される。

入院した患者さんのカルテから、病名をコードにしてデータベースに登録し、医療統計を取るという仕事に従事。

診療情報管理士という、認定資格を取るために、2年間の認定講座を受講。2年間の間に、4回のスクーリングを受講するが、特にやりたい仕事でもなくなっていたため、資格試験の時には、ずっとスマホでWEBデザイナーになる方法をググっていた。

案の定、試験には落ち、モチベーションも給料も低かったため、たまたま新聞の広告に出ていたWEBデザイナー養成講座を受講するために病院を退職。
退職後、彼女(今の嫁)の妊娠が発覚。

無職での嫁の両親への挨拶、報告となった。

ハローワークにて、職業訓練の申し込みをしようとするが、ハロワの担当者に講座の志望理由を見せたところ
「こんな文章、小学生でも書けますよ。」
と言われ、ガチで泣きそうになる。(何度か書き直してOKもらえた)

■憧れのWEBデザイナー

職業訓練は、沖縄本島にて活躍している会社が運営されていて、石垣では初めての開校で1期生でした。(残念ながら、2期終了後、石垣撤退となったようです。)

とても身になる訓練で、楽しかった。

訓練中に未経験OKでWEBデザイナーを募集している企業(実務経験がなく採用ってほとんどないです)の求人を見つけ、応募。
訓練後、即入社が決定し、遂に念願のWEBデザイナーとなったのです。

■倒産、LPの量産、そして倒産

念願のWEBデザイナーとして働きだした直後に嫁が第一子を出産し、順風満帆の人生が始まったと思っていた矢先、会社が倒産し給料も3ヶ月分未払い。

労働基準監督署にて、未払い賃金立て替え制度を申請し、別の会社へ。

その会社はLPを販売している会社で、月末になると狂ったように案件が入り、WEBデザイナー不足の為、1日2つのLPをデザインからコーディングまで担当したり、ハードな残業も増え、「覚悟はしていたが、これがWEBデザイナーの仕事か」と痛感していた頃に、別の会社へ事業買収され、そのままその会社にjoin。

ベンチャーでは良くあることなのかな、と思いながらも1年が経過。

そして、倒産。

重役の横領により、給料が払われなくなり、人生で2度目の倒産を経験。
嫁からも、高給より安定が欲しいと小言を言われる毎日。

その間に、第2子が出生。

今もナントカ、企業勤めで日々不安と戦いながら過ごしている。

簡単にと言って結構長々と書いてしまったw

自分の人生を振り返ってみること余りなかったので、これ書くのもいい経験になりましたwww